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◎風の便り花便り

9月17日
 9月になっても厳しい暑さが続いていますね。
津波で塩害被害にあわれた地方ではお米が作れずに、
大切な先祖伝来の畑やたんぼをこのまま放置するわけにはいかないと
地域のみんなでひまわりの種を蒔きました。
子供からお年寄りまでみんなで草を取り丹精こめてそしてこの夏、
立派な花が咲きました。
この夏に塩害に覆われた地域で咲いたひまわりの花は、
世界中で一番きれいに咲いたと褒めてあげたい!!
テレビの映像からはひまわりの花に寄せる人々のさまざまな
思いが伝えれていました。

そのなかで地域の区長さんが全国からひまわりの種を送って
下さったみなさまへ「ありがとうございます」と深々と頭を下げ
涙ながらに感謝の言葉を述べていらっしゃいました。

家も流され、親族も失い、そして田んぼも流されて、いつ耕作できるか
見通しも見えない現状でも、この区長さんは人に感謝の言葉を述べる人
としての矜持を持っていらっしゃる。
誠に、誠に東北の人の魂は素晴らしいと、被災地の報告を見る度に
我を反省し、衿を正している方は多い事でしょう。
日本人は本当はみんなこうだったのでは、、、。

「農民は田んぼや畑を耕し、収穫し、みんなに美味しいと言ってもらえる
ことが生き甲斐なの」こう話した女性の言葉が忘れられません。
毎回、被災地のことを書かずにはいられないのです。
だって本当に健気に生きていらっしゃる。私も負けない。そう強く自分を
励ましている毎日ですから。



9月10日

♪ 小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた ♪

今頃の季節はこの歌のように、「あれっもう秋」と ふと
微妙な風の涼しさ、流れる雲の形の変化に時の流れを感じることがあります。
この変化を「小さい秋」と表現した詩人のサトウハチローさんは
天才だなあと思うのです。
言葉は「言の葉」。
ひとつひとつの言の葉は小さくても、それが意味をなす時、
時には人々に大きな悲しみや憤りを与えることもあるのです。

経産大臣の鉢呂さんが原発周辺を視察した折りの発言はご自身が
発した言の葉を聞く立ち場の人がどう受け止めるかを意識しなかった
としか思えない。
例え悪気や他意はなかったとしても被災地で苦しい生活を余儀なく
されたり、疎開までしている人々に「死の町」とはむごい表現。

ましてや防災服の袖を記者にこすりつけて
「ほらっ 放射能」とは冗談ではとても許されない行為。

大臣をなさる方々の経歴はみなさんが華麗な学歴と職歴の方が多い。
一般の庶民が精一杯生きてきても、到底手に入れる事のできない
経済力や名声を得られている。
その力が国民への助けになってこそ、大臣まで上り詰めた方々の
務めではないのかしら?
「そんな人はいないよ」 悪魔のささやきが聞こえてきそう。

やだねったら やだねっ  最後は演歌になりそうとは、、、。


8月31日
 大型台風の接近にともない不安定な天候です。
それでもここ数日、朝に夕に窓から入ってくる風がひんやりとして
秋が近づいてきたなと感じます。
今日はどなたかのお家の庭からキンモクセイの香りが漂い、フ−ッと
思わず深呼吸をして香りをいっぱい吸い込ませていただきました。

さて、民主党の総裁選挙を興味深く見守っていた方も多かったことでしょう。
野田新総裁の演説の上手さにはびっくりいたしました。
あの演説を聞いて思わず野田さんに投票した方もいたのではと思う程に。
政治の世界はそんな感情で左右されるほど甘いとは思わないのですが、、、。

ご自身の生い立ちを「三丁目の夕陽」の世界とおっしゃっていました。
この言葉に私はぐっと来ました。
この方は「三丁目の夕陽」の世界を理解できる人なのだと。
「ALL ways三丁目の夕陽」という映画は戦後の昭和という時代をみんなが
必死に助け合い、貧しいけれど心を共有して生きてきたそんな人々を
温かい目線で捉えた映画です。
きっと多くの方がご覧になったことでしょう。
私の祖父母はそんな時代に、もし美味しい物や珍しい物が手に入れば、
まずご近所の皆様に食べていただく、そういう生き方をした人でした。
自分の孫もよそ様の子供もみんな一緒。
もし人が訪ねてくれば帰りには「おもたせ」と言って何か家にあるものを
必ず渡していました。
それが今日の晩の食事になるはずの物であっても。

そんな助け合いの時代から高度成長を経て日本人は本来の日本人の良さを
見失っていった、、、。
けれど3月11日の震災から多くの人が物の考え方が変わって来た。何かが。
「人に感謝する」「今日も一日無事で良かった」
当たり前の事がどんなに有り難いかみんなが感じ始めた。
そんな気がします。
野田総裁には厳しい現実の闘いが始まるでしょうが、どうぞ

「ALL ways 三丁目の夕陽」の心を忘れないで取組んでほしいと願っています。


8月20日
 連日の猛暑もひと休み。
涼しい気温となった関東地方です。
このつかの間の涼しさ、ほっとなさっている方も多いことでしょう。
東八道路に面している我が家の2階は、日中には40度になる日々が続いて
いました。ワ−嬉しいと今日の涼しさを十分に堪能しています。

さて、お盆前後は全国各地でお祭りや納涼踊りが行われていますね。
毎年、盆踊りをしていた被災地の人々に「どうぞ踊りにいらして下さい」と
各地から招待があり、可愛い子供達からご高齢の方までバスに乗って嬉しそうに
やって来る様子がテレビで放映されていました。
さすがに毎年踊っていただけに子供達も上手なこと!
家を流されて仮設住宅にいる人。親を亡くして親戚の家にいる子供。
数日の本当に束の間でも笑顔で踊る姿に目頭がジーンと来ました。
またこのお祭りが終われば現実の生活との苦闘が待っているのですもの。

でも彼等はみんな笑顔で言うのです。子供達までが
「また頑張るから」 あーなんて健気でしょう!
この頃は東北地方の人々に教えられることばかりです。
そして各地の招待の企画をした人々の温かさにも嬉しくなります。
日本中が人に温かい心で接するとういう事をこの震災は悟らせたのですね。

近くの畑のすみでオミナエシの黄色い花が咲き始めました。
晩夏から初秋へと少しずつ季節は移行しているようです。
被災地への支援はどうか長続きしますように。そして
間接被害にあっている方々への思いやりも忘れませんように。



8月6日
外を歩けばしたたり落ちる汗。
東南アジアのタイから帰国なさった方が、「わあー日本って暑い!」とびっくりしていました。
この暑さ、世界的にみても相当暑いらしい。
そんな暑い日に府中市では大国神社境内で3日間「商工まつり」が例年行われています。
大勢の人達が集まり市民に浸透した例年行事ですが、この「商工まつり」を
陰で支えている人々の中に、小さな規模の商店の店主やおかみさん達もいることを
市民の皆様はご存じでしょうか?

今や市民のお買い物は大型店に行くのが日常となり、チェーン店のスーパーや
業務用の格安店に流れています。
それは価格の安さ、商品の多さで当然といえば当然の流れです。
でもまだ府中市には昔ながらのいわゆる「とうちゃん、かあちゃん」規模で
地域に密着して人々と会話をしながら販売しているお店もあるのです。

販売店も製造業も不動産業も人と人とのコミユニケーションを大切にして
小さな商いを必死に守っている、そんな人々が大勢います。
そしてそんな人々が府中市の「商工まつり」では大活躍をしているのです。
毎年弊社の社長もささやかながらお手伝いをして、顔を真っ赤に日焼けして帰ってきます。

「坊や 危ないよ」と注意してくれるおじさん。
「体大事にしてね」とお年寄りの手をとってくれるおばさん。
そんな会話を交わしながらの人間らしいふれあいが今年こそ、大切だと
感じた年はなかったかもしれませんね。
地域の絆を少し考えてみましょうよ、、、。


7月30日
連日の蒸し暑い日々、その上豪雨や突然の雹に見舞われた地域ではさぞかしお辛い
こととお察し申しあげます。
成長が楽しみだった稲田が濁流に飲み込まれ、ひとつひとつ我が子のように
育てた桃や梨が雹にやられ、農家の方はもう泣きたいよ〜と叫びたい思いで
しょう。

辛いですね。悲しいですね。憤りでいっぱい。
それでもテレビや新聞の取材には農家の方達は決して怒りをあらわには出さず、
「しょうがないよね」と話される。
長い長い歴史の中で、何十回、何百回と続く天災に耐えて営々と生きて来た人々の
子孫の逞しさでしょうか。
卓越した人々の偉さを見た思いでいます。

さて話し変わり世界水泳の報道についてまた私は報道の仕方に怒っています。
それは
「北島選手は銀メダルに終わりました。」
「入江選手は銀メダルに終わりました。」と言うように金メダル以外はどうして
「終わりました。」というのでしょう。

すごいじゃないですか! 銀メダルでしょう。世界中の中で2番目になったのですよ。
「銀メダル獲得しました。おめでとう」と
どうして言えないのでしょう。
辛い練習をして自分と戦ってきた選手の身になったら、とても「終わりました」
なんて言えないはず。
そんな表現をされてもインタビューには「もっと頑張ります。」なんて健気に答えて
いる。
「終わりました?  じゃあーあなたやってみたら」と言えたらどんなに気持ちよいか
しら。
人の辛さは立場が違えば理解出来ない事もあるかもしれません。
でもせめて相手の身になって記事を書き、インタビューしてほしいと思います。
それぞれの辛い思いをしている方へ、我慢しなで「辛いよ〜」と一度言ってみませんか?


7月23日
大型台風が去り、ひんやりとした空気にほっとしたのもつかのま。
また強烈な日射しがてりつけています。
暑い町中に府中の学園道りでは「なでしこジャパン」の活躍を祝福する横断幕が下がっています。
沢選手の居る町としてみんなでお祝いの心を込めてのことと嬉しくなりますが、
マスコミというものはワ−ッと人気の渦中にいる間は持ち上げるだけ持ち上げて
おいて、人気が下がると見るやさっと引き、今度は醜聞を書き立てる。
このマスコミのやり方にどれだけの人が犠牲になり、辛い人生を歩ませられていることか。
どうか健気に頑張った選手達をいじめないでほしいと願いたい。
サッカーに関係の無い私生活をあれこれとほじくりだして、週刊誌の記事にする
ようなジャーナリストの風上にもおけない情けないことだけはこれ以上してほしくない。
これから次々と試合が続く彼女達に静養の時間を与えてあげてほしいと願うのは
私ひとりではないはず。

東北のけなげな人々が世界中で賞賛されている日本人の心をマスコミの人も思い出し
て、ジャーナリストの心を見つめ治してほしい。

今年はゴーヤのカーテンがはやり、これからはどこのお家でもゴーヤのお料理が続く
でしょうね。
我が家も早速とれたての1本でゴーヤチャンプルもどきのおかずを作り、あの独特の
苦味を堪能しています。
暑さを乗り切るにはこの苦味よねッなんて言いながら。


7月19日
毎日のすさまじい暑さにぐったりしている人達も今朝がたは
テレビにくぎづけで見入っていたことでしょう。
そして「なでしこジャパン」の快挙にさぞかし興奮なさったことでしょう。
偉かったね! 小さな体で。偉かったね! アルバイトしながらの練習。
本当に応援していた人達は涙でいっぱいだったでしょう。

「なでしこジャパン」の名前を初めて耳にした時には今頃の若者達に
「なでしこ」と言っても意味が解らないだろうな? と思いました。
中高年の女性には「大和なでしこ」という言葉は日本女性の鑑。
そして河原や荒れ地にも咲く、淡く優しいピンク色のなでしこの花は
その可憐な姿には似ず逞しい花であることも日本女性のそのものの様。

時代は変わり日本女性は一見、逞しくそして「身だしなみ」という言葉も
消えていきそうになり「なでしこ」の花の存在も忘れられてしまったと
思っていたのです。

それが「なでしこジャパン」の皆様の大活躍で「なでしこ」の存在が復活した!
なでしこの花が好きな私は今日はるんるん気分です。
本当の姿の日本女性への見直しがされたらもっともっと嬉しい!
「かわらなでしこ」は絶滅危惧種になりそうなのです。
どうか花への想いも寄せて下さいね。


7月8日
今年も七夕さまの日は曇りでした。
織姫と彦星は無事再会できたかな?
先日、病院に飾れた七夕飾りの短冊を見ていましたら、
「毎日が平穏に暮らせますように」というような庶民の心からの願い事が多いことに時世を感じました。

また弊社に訪づれる方達の多くの人が「今年は帰れないよ。実家の家も流されたし、、、。」
「岩手の釜石は臭気がひどくて大変なんだって帰っても病気になってしまうらしいよ」
「福島はもう市内は人が歩いていないんだ。もうダメだよ」
東関東から東北の出身の人達はお盆になってもお墓参りに帰れない事を悲しんでいます。

みんな大変な暮らしと悩みを抱えていることを、ひしひしと感じます。
お墓参りに帰れないと涙ぐんでいらした方、お墓も親族もみんな津波で流されたと
遠くの方を見つめている方、なんとお返事を返して良いのか言葉に詰まってしまいます。
でもね、心で祈り語りかけてあげればいいのではないかしら?
心にある辛い事も後悔も何もかも全て語ればきっと聞いていてくれると信じたいのです。

私もお墓参りにはあまり行かれませんが日々亡き父に語りかけています。
「お父さん。擬宝珠の花が咲く頃ですね。あなたの好きな花でしたね。」
「お父さん。体の調子がよくないの。でもあなたの娘ですもの頑張りますからね」
「お父さん。今日はくちなしの香りを嗅ぎましたよ。昔我が家の庭にも咲いていましたね」
真面目一筋で上手に世渡りが出来ない父でしたが、こよなく花や絵や俳句を好んだ父
はきっとどこかで聞いていてくれると信じたい。
だから頑張れるのだと思うのです。
どうかみなさまこの辛さを一人で抱え込まないで御先祖様にもこの世の人にも語っていきましょうよ。


6月21日
毎日蒸し暑い日が続いていますね。
雨や曇りの日なのに梅雨特有の蒸し暑さは体が弱っている方には一層辛いことと
お察し致します。
体調の良く無い私でしたが、お世話になった方が市民センターで行われるお琴の演奏
会に出演なさるとのお誘いを受けて送り迎え付きで行ってきました。

良かったです!
無理しても出かけて。
久しぶりにに聴く琴の音、もう数十年も耳にしていなかった雅びな音に身も心も
安らぎました。
琴、尺八と三弦の合奏も初めて耳にしてなるほどこういう取り合わせもあるのかと
新発見。
音楽というものは何よりも弱った体や心には癒しを与えてくれるようです。

府中市では音楽や絵画などたくさんの市民団体がグループを作り、多くの方が楽しん
でいらっしゃるそうです。
長年培った趣味を楽しんで、高齢者になられてもいきいきと活躍なさっている姿に
偉いなあ〜としきりに感心。
趣味は数々あれど、どれも一芸に秀でるとはいかない私には何かを物にするまで
努力した高齢者の方々がとてもご立派だと思いました。
さらなる高齢者になりつつある私も少しは見習わないとと、反省することしきり。

初めの一歩は今日からでも可能性はありそうです。
のうぜんかづらの赤い花が、さあーもっと暑くなるよ〜と言わんばかりに咲き始めました。


6月11日
梅雨の雨が土曜、日曜になると降るのでお出かけの予定のある方は、
「あ〜あ雨か、、、」と気分が重くなりますね。
片手は傘に取られるし、足元は濡れるしと。
そんな時、あなたはどんな顔をしているでしょう?
きっと不満顔かな?  イライラ顔?

この頃国会議員さん達のテレビに映るお顔を拝見していると
総理を始めみなさんがイライラ、不満のお顔が多く見られます。
被災地の方は一日も早く義援金の配付を待っているのに、そんな時に
総理の退陣がいつかなんてどうでもよい! と私は思ってしまいます。

被災地の女性は「せめて下着を買うお金を下さい」とテレビカメラに向かって
お願いしていました。なんて気の毒なことでしょう。
本当に世界中から送られた義援金の配付を一日も早く決めてほしいのに。
困り果ててついサラ金に手を出して返済に窮余している方迄出ているのに、、、。

国会議員の先生方、党利ばかり考えて苦虫を噛んだようなお顔をしないで、
「国民よ! この国難を命に代えても解決するから」と優しい笑顔でおっしゃる議員
さんはいないものでしょうか!
優しく慈愛にみちた笑顔を「温顔」お、ん、が、ん、というのですぞ。

人の上に立ち国政に預かる議員さんは国民に「温顔」を見せて、大英断をして
いただきたいと切に思うこの頃なのです。
雨に濡れた紫陽花の花の美しさを美しいと国民のみんなが安心して見ることの

出来る日まで政治家よ本当にあなたたちこそ「頑張ろう」。

5月31日
大雨や大風と天候は荒れています。
特に被災地の地域で大雨との天気予報にたまらなく胸が痛みます。
こんなに皆さまが頑張っているのに、せめてお天気だけでも
良くなってほしいと願っているこの頃です。

さて前回私が帯状疱疹になったと書きましたら、「うちの主人もなったの」
などと情報をいただきました。
ありがとうございます。
その後も私は痛みとしびれと闘っております。
帯状疱疹恐るべしと言うほどにかなりひどい状況です。
そして右利きの私は左手が使えないとこんなに不便なのかと、左手の重要なことに
驚いております。
まず、服を着るのも右手だけではうまくいかない。
食事をするのも左手で支えられないので、テーブルにお茶碗を置いたまま食べると言
う品の無さ。
勿論、パソコンも右手だけでポツリ、ポツリと初心者並みの打ち方。
何よりちょっとでも書類を左手で触れただけで激痛が走る。
「左手さん。今迄ないがしろに思っていてごめんなさい。」と心から左手に謝りたい。
みなさん! もしちょっとでも体のどこかに湿疹みたいな帯状が見つかったら早めに
病院に行って下さいね。

6月は「風待月」かぜまちつきと言われているそうです。
美しい言葉ですね。
旧暦の六月は夏の盛り。
ちょっとでも風が吹いてほしいなと思う心からうまれたのでしょう。
日本人の言葉に寄せる気持ちの美しさ、いいなあ〜と感じいっています。


5月23日
真夏日のような高温の日が続いています。
そんな時にあやめや菖蒲の青い花が咲いて人の目にやすらぎを与えてくれています。
自然の働きってすごいなと感心することしきり。

さてここ1ケ月、私は左腕が帯状疱疹になり連日激痛と闘っています。
まるで剣山で四六時中左腕をつつかれているような、そしてさらにその剣山を
ぐぃっとねじまわすようなものすごい痛み。
この病気はこれでもか、これでもかというように痛みが襲ってくる。
さらに手はしびれて倍以上の大きさになったかのような感覚で、物を触る事もできない。
うっかり何かを触ったらそれこそギーィッと電気が通過するような傷みが襲ってくる。
こんな状態なので痛み止めの薬で頭は平常以上にボーッとして、誠に仕事にならない。
期限が迫っているお客様にはひたすらお詫びの電話をする。
怒られるかな?と心配しながら電話をすると皆さまなんと優しいことか。

「その病気はつらいそうね。話には聞いたことがあるわ。大事にして下さいね。」と
皆さまから励ましの言葉をいただいて目がウルウルしてくる。
人ってこんなに優しいのだと再認識し、有り難いこと、治ったらもっともっと
頑張らなくちゃとつい人に話をしたら
「その頑張り過ぎが帯状疱疹になるんだからほどほどにするの」と注意をされてしまった。
なるほどね。ほどほどね。
新入生や新入社員の皆さま。緊張して頑張っているでしょうが時にはほどほどにね。

そうしないとものすごい痛みが襲って来るかも知れませんよ。

5月16日
今日は朝から上天気です。
風はやや強いけれど行楽にはもってこいの日でしょう。
朝から東八道路は久しぶりに行き交う車輌が多いようです。
日本人が少しずつ消費をして被災地を応援しようと行動し始めて、
行楽地もにぎやかになってきているようです。
そんな体力と時間とお金の無い方は家の周囲を散歩してみて下さいね。
家々の庭に芍薬の濃いピンク色の花やジャーマンアイリスの紫色の花が
咲いていたりして、心なごみます。
人はその分相応で楽しみを見つければよろしいというのが私の持論ですから。

さてこの時期にツツジくらいの大きさの木にスズランのような小さな花をたくさん
つけた可愛い木があります。「どうだんつつじ」とういうのですが、漢字で書くと
「満天星」と書きます。
小さな白い花がいっぱい咲いている姿がまるで夜空に満天の星がきらめているようだ
とイメージしたのでしょう。
ツツジの名勝は各地にあり行楽客で賑わいますが、「どうだんつつじ」は地味なのか
あまり目に止めてもらえないようです。
白い小さなスズランのような花が下向きに咲いている姿は何とも愛らしい。
どこかで見つけたら立ち止まって愛でてあげて下さいね。
きっと「満天星」と漢字をあてたどこのどなたかに素敵な漢字をあててくれて
ありがとうって思いますよ。


5月7日
 刈りたての 蕗をもらうや 一抱え  岩崎ふかみ

みずみずしい青い香りの蕗を両手に抱えきれないほど収穫して夫が 帰ってきました。
わあー嬉しい。この香りは生きているよ〜という元気な香り。
早速に日頃から料理好きな仲間に「蕗が取れたわよ〜」と連絡する。
「きゃらぶきにする!」「油揚げと煮ようかな」などと会話は弾みます。
素朴でちょっと下ごしらえを用する和食の材料は敬遠しがちな世相となりましたが
私の周辺にはまだまだ、そんな和の素材を大切にする仲間がいます。
季節の旬の素材を有り難くいただく仲間がいることを幸せに思っています。
嫌な事や悩み事があってもそんな素材を茹でたり、皮をむいていると
心が落ちついてきて、仕上がる頃には「まあ〜いろいろあるけれど乗り切らないとね」
と気分が落ち着いてきて後は「おいしい、おいしい」とひたすら食する。

このようなささやかな庶民の幸せやおつき合いも穏やかな何事も起きない日々だから こそ送れる。
被災地や間接被害で苦しむ人々には「小さなゆとり」さえも味わえないのが現実でしょ
う。

浜岡原発の全面停止を政府が発表した途端にもう賛成、反対の声が報道されています。
日々の暮らしを護ることと未来への安全な暮らしを護ることの双方の意見を聞きなが
ら、この国は長期的な展望をしっかりと心を据えて取組む必要があると痛感していま
す。
ご用学者や企業、政治家の私利私欲に惑わされない目を国民は養わないと、
またとんでもない事態が発生するかもしれない。
その時、日本と言う国はもう亡くなってしまうのではと本当に心配になります。
美しい国土と真面目な国民のいる日本を日本の培われた文化を消してはならないと つくづく思うのです。


4月30日
 あーもう4月も終わりなのねと、複雑な思いでカレンダーを見ています。
3月11日以来、多分おおくの方々の胸のうちは心から笑ったり、花を愛でたりする
ゆとりが消えていたのではと思います。
直接、間接的に被害に合われた方々が必死に生活を取り戻そうとしているうちに
月日は否応なく過ぎていったのではないかしら。

弊社の出窓の下のわずかな隙間にスズランの花とたつなみ草の花を一株ずつ
いただいて植えたのは約10年位前のこと。
それから毎年スズランは増え続けてこの時期になると、切ない程の甘い香りを
漂わせてくれます。
花の可憐な姿からは想像できないほどに強靱な生命力で咲き、たつなみ草は淡い紫色
の小さな花を風にそよそよと揺らして咲いています。

そうあなた達の出番の季節になったの。
自分の出番を忘れない小さな植物の強さに、人もまだまだ頑張らないと。
皇后様に震災に負けないで咲いた水仙の花をプレゼントなさった被害者の女性も
きっと水仙の花から元気をいただいたのでしょう。
生きとし生きるもの、みんなが助け合い支えあっている。
人は決してひとりでいきているのでは無いことを今年は多くの方が胸に感じたことで
しょう。
木々や花々や流れる雲にさえ、今日の一日の無事を感謝したいそんな今年の晩春です。


 

4月16日
今日の温かい陽気に府中のケヤキ並木がうっすらと淡い緑色になり、
東八道路のユリの樹はまるで一日で芽吹いたかのように、おさな子のような小さな葉
を揺らしています。
3月11日以来、人々の心は余震や原発の恐怖で落ち着かない日々を送っていますが、
季節は春爛漫へと以降しています。

都知事選挙の後は市議選と政治の世界も動いています。
弊社に訪づれる人々はお客様ばかりではなく(この不況でお客様は少なくて)
さまざまな方が一杯のお茶を飲みながらいろいろな思いを語っていかれます。
それらの方々の多くが支持する政党があるなしにかかわらず、皆さんが同じような事を語ります。
それは・・・
「政治家さんやそれに連なる財界の大物さん達は所詮庶民がどんなに苦労して毎日を
過ごしているのか何てわからない」
「国民の皆さまと政治家は言うけれど、本当の国民目線になって物事を見る人ってい
るのかしら」
「税務署の取り立ての辛らつさは昨今にないほどの厳しさ。事情も何もあったもので
はない。」
などなど官僚や政治家、財界、はては税務署の対応の悪さへの不満がものすごい。

毎日使うお金が桁違いの世界にいれば、庶民感覚を理解しろと言うのが無理なのは
百も承知。それでもこうも庶民が職が無い、生活が苦しいと嘆く時代を私は初めて経
験しています。
遠山の金さんや大岡越前の守でも出てくれないかしら、いっそヒラリー国務長官にで
も日本の政治をやってほしいとまで話は飛躍していく。
それなのに暴動も起きず、政治家の命も狙われず、日本国民はなんておとなしいので
しょう。
これがいつも話の結末です。
「心あらばきかせてよ、民を思う気持ちがありや無しやか」

 


4月8日
東京地方の桜が咲き始めました。
けれど今年の桜は可哀想と思ってしまいます。
7日の深夜のまたまた続く余震に人々の心は不安感に襲われ、そして8日は強風。
自粛ムードで桜の花の下での宴会もなく、人々の心は淡い桜色の美しさからは、
ほど遠い気分になりがちです。

ここ数日になって人々の気持ちが自粛だけでは日本の経済は停滞する一方だから、
消費をして地域活性をするのも東日本大地震復興の一助になるのではという意見が
恐る恐るでてきました。
確かにそうですね。
日本中の人々が心を痛め、自分にできることは何かと役に立つ事を模索している今。
直接、間接に被害を受けている大勢の人々が元気になることが一番大切なのでは。
全ての生産と物流が停滞し、建築資材から納豆、タバコに至るまで物が不足しています。

地震以来、中古住宅の銀行評価が下がってお家を買い替えようと思っていた人々が
買い替えられないのが現状だと銀行の方も不動産業者も建築メーカーの方も言っています。。
賃貸住宅のお部屋は近年に無い程の空室だらけ。大家さんは苦慮しています。
街を行く人の数も少なく、このような状況では被災者の地域や方々に応援したくても
なんだか皆が倒れてしまいそうです。
みんなが頑張っています。だから今度は復興のために世の中を元気にしましょうと
政府もマスコミも活気をつけてほしいなと思うのです。

私は毎晩、桜の花を見上げながら物件のチラシ配付をしています。
どうか経済が活気づきますように、どうかみんなが元気になりますようにと祈りながら。

 


4月1日
カレンダーを一枚めくって今日から4月です。
花咲き希望に満ちあふれる4月の訪づれを、悲しい気持ちで向かえた人々が大勢いる 日本の国。
昨日の読売新聞の一面に掲載された4才の幼子が書いた文字に、涙を浮かべた人もまた多かったことでしょう。

「まま いきているといいね」

被災孤児となったいたいけな幼子の行く末をどれほどの人々が案じたことか、、、。
悲しい事や辛い事は書くまいと思うけれど、連日のあまりにも悲惨な現状にどうしても考えはいってしまいます。 そしてあらゆる産業の分野で東北、東関東の地域が重要な拠点であったかをまた思い知らされています。

府中市内のごみ袋も東北で生産されていた由。当分はコンビ二の袋で捨てて下さいとのお知らせ。
建設資材、住宅備品などはもう入荷不能となり、工事中の現場では必死になって部材を探していますが入手困難です。
一極集中では国の産業は成り立たないことを十分に思い知らされている日々。
復興するには国の産業のあり方をこの際、徹底的に見なおさないといけないのではと痛感している毎日です。

結局は経済も政治という大局的な判断の基に成り立つということを、政財界の方々は、よ〜く考えていただきたいのです。

今日も造りかけの部材を探しに弊社のスタッフは奮闘しています。
本当は物造りに集中してほしい職人の腕がこれではもったいない。

こぶしの花が咲き、桜の花も出番を待っています!
負けないよ、決して。 みんなで力を合わせましょうね!

 


3月25日
人々に自然の脅威と大きな不安感を与え続けている大地震発生から 2週間が過ぎました。
多くの人々の悲しみと頑張りの報道に時に涙ぐみ、時に感動を抱いて いらっしゃる方も多いことでしょう。
東北の人々の我慢強さ、感謝の心がけの健気さ。
偉いね、なんて偉いのと毎日心から感嘆しています。
そして支援している人々の温かいお心、人間ってすごいねとまた 感嘆する日々です。
被害にあわれている東北や東関東の人々の事を思うと、もっともっと節約、 節電しなければと心に言い聞かせている毎日。

25日の読売新聞の朝刊に掲載されていた「1本だけ残った松の木」の記事を ご覧になりましたか?
陸前高田市の「高田松原」と呼ばれる数万本の松並み木が津波で根こそぎ 無くなりました。
けれどたった1本だけすっくと立ち続けてる松の木が」あった!
天が人間に与えた「頑張って! 生きるのよ」と言うメッセージのようだと 思ってしまいました。
それは小説「桐一葉」または「最後の一枚」にも似た一本の松の木。
言葉で頑張って、勇気を出してと言う事はたやすいけれど、東北や東関東の 人々はもう十分過ぎる頑張りをし、耐え忍んでいらっしゃる。 そう思うと何て言っていいかわかりませんが1本の松の木の写真はそんな
言葉をすべて表現してくれている、新聞の力を写真の力を感じました。
野菜の出荷が出来無い農家の方々、牛乳の出荷が出来ない酪農家の方々、 餌が入荷せず、多くの鶏が死んでいく養鶏家の方々。
そして消費者の購買意欲の低下で家が売れない弊社のような不動産業者も みんなが遠いかもしれないけれど、明日を信じて頑張りましょうね。

 


3月13日
強烈な地震と津波の被害に大平洋岸の人々が恐怖におののいています。
被害にあわれた方々には何といってお慰めしていいのか正に言葉も
無い思いでいっぱいです。
「未曾有の天災にすべての人々が力を合わせて」と訴えた菅総理大臣の
おっしゃるようにこういう時は各政党も党利党略はさておいて、
心を込めて力を合わせてほしいと切にお願いしたい思いです。
最近のマスコミは日本人みんなが意地悪な人々の集団なのでは
ないかと思う程、些末な事の上げ足とりが目に付いて嫌だなと
感じているのです。

さて12日、市内の各スーパーの店頭からパン、水のペットボトル 
カップラーメンがものの見事に姿を消しました。
節電した薄暗い店内では大量に食料を購入する人々で混雑していました。
浅間山の噴火、伊勢湾台風、阪神淡路大震災と人生の中でもいくつかの大きな
天災を経てきた我々高齢者でもいざと言う時には、結局自分自身はおろおろする
しかない弱い人間であると思わざるをえないのです。
でも出来る事から助け合おうとテレビのすさまじい映像を見て、思いました。
人の言葉の一言がどれだけ力になるか、きっとなります。

倒れた我が家のテレビや家具、割れた食器類を手伝って片付けて下さった方達に
どんなに励まされたか。

人は人の言葉と行動にしか助けられないのですもの。
ひとつひとつの小さな行動を起こしましょうね。

3月5日
 春は名のみの冷たい風が吹いていますが、日毎に日暮れの時間が
遅くなってきています。
入試も追い込みの時期になる頃に何と嫌なニュースにがっかりしています。
いくら大多数の高校生が大学受験をし、大学と言う価値が下がったとは言え、
世の中にはいつの世もたとえ優秀でも、経済的に泣く泣く進学を諦めざるをえない
生徒さんもいるのです。
卑しくも浪人を許され、高い学資のかかる私大を受験できる幸せな立場の方が
メールを使って不正をするなんてもう絶対許せないと私は怒っています。

理由がなんであれ、いけないものはいけない!
私は優秀でもなければお金持ちの家に生まれたわけでもなかった。
でもどうしても大学教育を受けたかったから、あらゆる手段と努力を駆使して
頑張った。そんな仲間が私の周囲には大勢いてみんなで協力しあって頑張った。
けれど決してカンニングなんかしなかった。
だから60歳を過ぎても学生時代の仲間とは今でもずっと良いおつき合いを続けてい
る。
そういう人生もあることを知ってほしいと思う。
一流大学や大企業にいく事が人生の最終的な目標なのかと。

こぶしの冬芽がすこ〜うしふっくらとしてきました。


2月26日
2月25日に東京地方では「春一番」の暖かい風が吹き、気温は
ぐんぐんと上昇して5月上旬並みになりました。
ジャケットもカーディガンも脱いで、身軽になって良い気分です。
「春」と言う言葉を聞くだけで嬉しくなってきます。

そろそろ「ふきのとう」も顔を出し始める頃でしょうか。
この「ふきのとう」を「恋待蕾」とも呼ぶのだそうです。
こいまちつぼみ、なんて素敵な言葉でしょう!
日本語ってこのような美しい言葉を持っているのだと、ひとしきり
感じいっています。
愛読書の「美人の日本語」によりますと、
冷たい季節にひょっこり顔をのぞかせる蕗の薹は、
背伸びして恋を夢見る蕾のよう と表現しています。

まだまだ寒い日とそして時々暖かくなる日の繰り返しで、やっと
本物の春になるのでしょうが、待つという難しい行為も人生の中で
時に必要なのだと言い聞かせている人々もいることでしょう。
受験に失敗した方や就職活動がうまくいかない方、そして闘病中の方も、
辛いけれど待つのも試練と考えてどうか乗り切って下さいね。

もうすぐ弥生三月。
弥生の弥という字はますますとか、いよいよと言う意味だそうです。
いよいよ草木が生き生きする季節と言う意味。

なるほどね。日本語の奥深さにさらに感動しています。


2月19日
朝晩の冷込みが厳しい毎日です。
豪雪地帯では一晩に屋根も道路も数メートルにも降り積もる雪に
難儀なさっている様子がテレビ画面に映し出されています。
過疎化した地域では降り積もる雪を除雪する人も足りなくて、どんなにか
大変なことでしょう。
十年ほど前に東京に十数センチメートルの雪が積もった時に、その雪の
除雪をするだけて、私は筋肉痛をおこして高熱を出してしまったのですから
雪国の人々のご苦労がいかほどか大変なこととお察しいたします。

そんな豪雪地帯で高校生達がボランティアで雪下ろしをしている映像を見ました。
「少しでも地域のおじいちゃんやおばあちゃんが助かったら嬉しい。」
彼等のさりげない優しさがたまらなく嬉しくなります!
中高年のひとたちがボランティアと意気込みがちなのに比べて、
若者達は実にさりげなく人助けをするのが上手。
今時の若者は何て言っている人達に、今の若者の優しさを知ってほしいと
かねがね思っている私はこの映像を見て、「ほうらね。今時の若者はステキでしょ。」
と自慢したい気分でいます。

私が自転車に乗っていて電柱にぶつかりひっくりかえった時に、ころがり落とした
荷物を拾って起こしてくれたのも一見頼り無さそうな若者でした。
駅で切符の買い方が解らなくて掲示板をじ〜っと睨んでいた私に、「どこまで」と
ぼそっと聞いてくれたのも破れたジーンズをはいていた若者。
いつも紳士のお方々はしら〜っと見ていただけ。

こんな素敵な若者がいる日本という国が経済に政治に元気がないなんて、
もう許せない!

しっかりして! 大人達よと喝をいれたい!


1月30日
 しんしんと冷えた空気に思わずまた布団の中に潜り込みたくなる朝が
続いています。
一年で一番寒い季節ですもの仕方ないとエイッとばかりに起きて、ストーブをスイッ
チオン。エアコンといかないところが我が家の古い感覚です。
こんな当たり前の生活と思っている暖房も、ちょっと昔の小説などを読んでいると、
火鉢に炭を起こす事から冬の朝は始まる。
普通の家には電話も無い、冷暖房も無い、蛇口をひねって水やお湯がでるなんて
考えられなかったのがほんの50年ほど前なのですから、ここ50年の進歩に驚きます。
科学の発達に比例して人間の精神も発達したかと言うとそこが疑問。

と言いますのも学生時代の友人から、気持ちが引き締まるような読後感の本を紹介さ
れました。まあー読んでみてと。
山本周五郎さんの「日本婦道記」新潮文庫にあります。
山本周五郎さんは武家や市井のひたむきな人々を描いたら右に出る作者がいないと
言われるほどの名手ですが、この本に描かれている婦人達の生き方が、毅然として
それでいて自己犠牲の強い、なお且つ心優しいともう文句のつけどころの無い人々な
のです。
時は江戸時代。
封建体制の家長制度の中で、電気も水道も無い今の時代から見ると不自由な暮らしを
余儀無くされている女性達が、気高い精神を持って日々の暮らしを営んでいる様子が、
丁寧に描かれています。
短編からなるこの本を読んでいくうちに、私はまさに穴があったら入りたい心境にな
りました。
日々、口から出るのは不平不満。もう我慢の限界だ!とわめいても、この本の主人公
から見れば、いいえまだまだそんな苦労は序の口と言われてしまう程度でしょう。

今の暮らしにご不満や、あ〜大変と絶望しそうな方はどうぞお読みになって下さい。
まだまだ頑張れると思うはずですから。
そして寒さの中に咲く梅やマンサクの花を待つ楽しみをきっと抱くはず、、、。


1月14日
東京地方は相変わらずの晴天続きで冬晴れの空は青く乾燥した日々が
続いています。
いよいよ受験シーズン到来で風邪を引かないようにと気をつけていらっしゃる
ご家庭も多い事でしょう。
幾つになっても「受験」と言う言葉は時に辛く、時にはほろ苦い思い出となって
人の記憶に残っているようで、60才過ぎの方が
「私、いまだに受験の夢をみるのよね。」などとおっしゃる。
単に偏差値のみで一流とか三流などと区別しているのもおかしなものですが、
その三流にも入らない四流大学の学生達が主人公だったテレビドラマ「ふぞろいの林
檎たち」が1980年代から90年代に人気をよんでいました。

その学生達がなんと今、モバゲーのCMで「活躍」しているではありませんか!
このドラマが人気をよんでいた頃は私は仕事と家事と育児で毎日がもう大変。
テレビを見る時間等は全く無し。
しばらくして再放送か再々放送かでちょこっと見ました。
なかなか良かったのです。四流大学生の愚直なまでの素直さや正義感やダメさ加減が。
そんな彼等が当時を振り返るCM。
柳沢慎吾さんや時任三郎さんのさりげない演技が、たまらなく懐かしさを呼び覚ます
のです。
あ〜あの頃はと当時の自分を懐かしみ、そしてタレントとしての今の彼等の活躍ぶり
が何だか「よく頑張ったね」なんて言ってあげたくなってしまうこの不思議なCM。

それからの「ふぞろいの林檎たち」をつい期待してしまう。
CMと言えどこれはかなり時代を超えた楽しいCMだと制作者の感性に軍配!
受験生のみなさま、どうぞ風邪を引きませんように。
そして受験は長い目で見ると人生の通過点に過ぎなかったと言う老人のたわごとも
ちょこっとお耳に残して下さいね。


12月30日
府中駅前の大国魂神社参道には国旗が飾られ、年末年始の準備が進んでいます。
晴天に恵まれた東京ですが、吹く風は冷たく賑やかに行き交う人々も肩をすぼめて
います。
銀行の統廃合の結果今迄よりは少なくなった都市銀行のキャッシュコーナーでは
延々と路上にまで順番を待つ人の列。
いつもいつも思います。
この統廃合は決して利用者の立場には立っていないなって。
銀行の経営者のお偉方様達は路上に並ぶ経験も無く、こんな現実をご存じないのでは。
この列に並び、「はい 次の人」と係りの人に次々に呼ばれて行く時、私はついつい
「ドナドナ ドナ ドーナ」という古い歌を思い出してしまいます。

庶民は何があっても上の言う事、大企業の方針を黙々とついていくのだとも思います。
そんなあまり愉快ではなかった今年でしたが心を打たれたのは、宮崎県の牛の口蹄疫
被害者の酪農家やサクランボを大量に盗まれた農家の方々、リンゴや梨が暴風で落下
した果樹農家の方達のお話でした。
多大な被害、これからの生活を思うと涙無しでは聞けない状況なのに、みなさんが、
「しょうがないよね。また頑張らなくては、一生懸命一からやりなおしますよ。」と
淡々とおっしゃる。
偉いね。日本人って素晴らしい民族よねと皆様方の皺にきざまれたお顔が神々しく
感じるれるのです。

そんなけなげな国民を政治家の皆様や官僚の皆様は忘れないで欲しいというのが
今年最後のお願いです。
つたない本欄をお読み下さり、感想や励ましを下さった皆様ありがとうございます。
皆様からのエールを力にしてまた来年もささやかな独り言を書かせていただきます。

ひとりひとりが、幸せを少しでも感じられる新年になりますように。


12月24日
やっとと言うのか、とうとうと言うのか、東京にも北風小僧の寒太郎が吹き荒れて
肌をさす冷たい日になりました。
クリスマスイブの今日はワクワクしているお子さんが大勢いることでしょう。
お母さん方、今日子供達が学校からもらって来た通信簿のことは、せめて今日ぐらい
は忘れてあげてくださいね。

さて本日の新聞を読んで私は思わず「良かったね」と独り言を言いました。
何故って「さかなクン」が絶滅種に指定されている「クニマス」が山梨県の
西湖に生息している事を発見し、天皇陛下からその貢献を称えられたというのですもの。
「さかなクン」が随分以前にテレビチャンピオンに出場して以来、すっかり
「さかなクン」のファンになりました。
純粋に「さかな」が好きで好きでたまらないという表情が、何とも素晴らしい。
そして何よりも「さかなクン」のお母さんの子育てがご立派なこと。
お母さんは好きなことはとことんやっていいとおっしゃった由。
大抵は国語も算数も音楽もと親は一通り出来ることを期待しがちなものです。
それを魚の図鑑のとりこになった彼を一度も心配せず、とことん魚と付き合う事を
自由にさせたとは、まったく度量の広いお母さんだと感心しました。

東京海洋大学の客員准教授にまで成長した「さかなクン」の生き方に大きな示唆を
与えられた世のお母さん方もきっと大勢いらっしゃるでしょう。
けれど、それはそれとしてついつい目先の通信簿に気持ちがいってしまうのが世の
親の常。
この不景気な世の中で、好きな事で暮らしていけるわけはない。
せめて公務員にでもなって安定した暮らしをして欲しいと思う親心はわかるけれど、
人の幸福って何で測るのよって言う考えも頭をかすめる。
そんな事を考えさせられた「さかなクン」の朗報でした。



12月18日
府中市内の商店街は薄暗くなるとイルミネーションが美しくまたたいています。
住宅地でも各家庭で趣向を凝らしたサンタさんや星がまたたき、幻想的な
世界へ一瞬でもいざなってくれています。
でもでもです。
昨日、私はそんな夢の世界から現実へと直行させられました。
たいした事ではないのでしょうが、私にはたいした事です。
まずは十年使用していた携帯電話が電池切れで通話不能ということが発端。
けれど電池交換してもらえば、即また使用できると単純に考えていた私は
現実音痴だった!
携帯電話売場の若き女性はひとこと
「もうこの機種は電池生産しておりません。機種変更ですね。」

誰が勝手に機種の販売中止をしたと言いたいところを、ぐっとこらえて「機種変更
は費用がかかるのですか?」
これがいけなかったらしい。
このおばさんは何を言っているのかと言わんばかりの冷ややかな、けれど毅然と彼
女は、あれこれと多機能機種の説明や費用を話し出す。
「あの私、電話が使用できるだけでいいのです。メールも写真も一切いりません」
以後私は彼女の呆れたと言う感情を込めた表情と付き合う事になった。
世の中はまさに日進月歩は百も承知。
より多機能で高品質の物をつくり出し、他社と競争していかなくては企業は成り立
たない事も解る。
けれど一方で物を大切にする気持ちの人もいるし、最小限度の機能で良しとする人
もいてもいいのでは。
そう言う人の事も大切にするのが本当の企業というものではないのかしら?

何十年前の万年筆のペン先を探してくれる老舗のお店や、お皿一枚でも自社が販売
した物は補充している会社もいまだにあるのを私は知っています。
それだけその企業は自社の製品に誇りを持っていることが清々しいと思うのですが、
どうやらこういう考え方はごく一部になってしまったらしい。

「もったいない」と言う日本語に感動して「もったいない」運動をし底辺の人々 
の暮らしに変化を生み出しノーベル平和賞を受賞した女性もいるというのに、、、。

40年前のロングスカートを今も大切に着つづけている私には十年でおさらばされる

携帯電話がなんとも愛しく哀れに思えた日でした。



12月11日
初冬の青空が一転にわかに大雨になったり、強風が吹いて海岸の漁船が転覆したりと
今年の天候はかなりの乱暴者ぶりを発揮しています。
街はクリスマスの飾り付けで華やかになり、同時にお正月のおせち料理の予約会と
これまた行事の先取りで前へ前へと早送りの様相を呈し、新聞を開けばドサッと
チラシの山が重い。

それでも弊社に訪づれるお客様たちはみんなが口を揃えて言います。
「本当に不景気ですね」 そう不景気を毎日身を持って感じているのです。
「あの豪華なウン万円もするおせち料理やクリスマスケーキを予約する方々は一体
どんな仕事をしている人達なのでしょうね。」と諦め顔で言う人達。
本当に私もそう思います。
華やかな脚光を浴びている人達と社会の底辺で必死に生きている人達の大きな落差が
着実に増加しているのではと実感する日々。
今年程そう感じた年はなかったかもしれません。

生活保護受給者や立ち退きを迫られている方々の行く先を探し、
理解ある大家さんを探し。
そして見つかった時、共にあ〜良かったとほっとする安堵感。
人は共に悩んでくれる人がいる間は絶望という谷間から這い出せるでしょう。
旧友から一枚の絵ハガキが届きました。
そこには一輪の山茶花の花の絵と「さざんかのように ひたむきに」と
書かれていました。

悩んでいる人達、諦めないでひたむきに明日に向かって話せる仲間を探しましょうね。
勿論、私もひたむきに諦めません!

  山茶花は魂のはな散りてなお  原コウ子



11月23日
11月も中旬になり、朝晩の気温がぐっと冷え込んできました。
登校する小学生達もダウンジャケットを着込んだ子供達が多くなりましたね。
このダウンジャケットって軽くて温かくて、洗濯も気軽に出来て便利です。
半世紀前までは寒くなると東北地方では綿入れの半纏を着て登校する子供達が
多かったそうです。
綿入れは気軽に洗えないので、さぞかし子供達も気を使って着ていた事でしょう。
そんな東北地方に昔からあった「こけし」が今、若い女性達に大変に人気があるそう
です。
貧しい東北の農村の子供達がお人形がわりに親から作ってもらったのが「こけし」の
原点とか。
そんな素朴な木の手触りが若い女性達にはやすらぎのひとときを与えてくれると
好評をはくし、こけし巡りのツアーが各地で大人気とのこと。
オフイスでパソコンとにらめっこしている若い女性達が帰宅すると、「こけし」を
手にほっと一息ついて、一日の疲れから開放される。
なんだかわかるような気がします。
機能的で洗練された職場、何事もパッパと迅速を要求される職場。
頭と同体だけの最小限度の姿に穏やかな笑みをたたえた「こけし」はそんな彼女達に
「ゆっくりといこうよ」ときっとささやいてくれるのかもしれません。

各地で郷土の産業を守ってきた「こけし」業者さん達が再び日の目を浴びて、よかっ
たねと思っています。
良い物は今は廃れていてもきっと誰かがどこかで見ていてくれると思うと、地道に頑
張っていらっしゃる方々には朗報ですね。

嬉しい現象です。




11月13日
ここ数日、晴天に恵まれて近くの神社では七五三のお参りの姿を
よく見かけます。
可愛い着物姿の子供達を連れているご両親の嬉しそうな笑顔に、こちらも
ついついと微笑み返しをしています。
いいですね。こういう日本的な光景って。

最近、私の周辺でとみに好評をはくしているコマーシャルがあります。
サントリーの金麦のCM。
女優の檀れいさんがキッチンで料理しながら「偉い、偉いって言って」
「あっぱれ、あっぱれって言って」と優しくけなげに訴えるように言う言葉です。
そうなんですね。
主婦がいくら料理しようが洗濯をしようが、どんなに頑張ったって誰も「あっぱれ!」
なんて言って褒めてはくれないのが日本の男。
仕事や家事に必死に頑張っている女性にもし一言でも「良くやってるね」と
言ってくれたらどんなにか嬉しいかしら、、、。
当たり前の事を当たり前にこなして暮らしていくことの大切さを、蔑ろにしていない
かしら?
このCMを作成したサントリーさんに「あっぱれ!よくぞ代弁してくれました」と
褒めてあげたい。
言わなくてもあうんの呼吸で解るという世代の方々もいらっしゃるでしょうが、
やはり言葉にして伝えるって大切ではないかしら。
60過ぎた私だってもしも一言「良くやってるね」なんて言われたら天にも登る心地が
するはず。きっと。
日本の男性諸氏よ、暮らしを大切にして奥様にはお褒めの言葉のひとつも言ってみて
はいかがでしょう?




11月6日
やっと秋晴れの美しい青空が広がり穏やかな天候が続いています。
近所の家の庭先には緑色の小さな柚子の実が実っています。
この柚子の実が黄色くなる頃には、巷では忘年会や同窓会と鍋料理を
囲んでにぎやかな会話がはずむことでしょう。

今年の前半にテレビドラマの影響か「同窓会症候群」という言葉が流行りました。
何年か何十年ぶりかに出会った仲間達。
現在の生活に不満を抱いている人程、昔の楽しかった思いでのみ思い出す。
ドラマでは黒木瞳さんと高橋克典さんが切なくもけねげな演技で世の中高年の
女性の涙腺を刺激したようで、視聴率も高かったそうです。
かくいう私も毎週ついついと見とれてしまったのですが。

さて先日、私も十年ぶりに同窓会に出席しました。
たった数年間、一緒に学んだだけなのに会えばたちまち昔に戻って打ち解けてしまう。
同窓会って不思議な存在です。
ドラマのように素敵なハプニングがあったかと言うと、それが全然ありませんでした。
話題はもっぱら病気と記憶力の低下とさらには葬式の話など。
なんともドラマとは大違い。やはり現実はそんなにロマンチックとはいかないようで。
それでもみんなさまざな家庭や仕事の悩みを抱えつつも、慎ましく一生懸命に生きて
きたのだと白髪や皺の顔をお互いに見ながら、もう一息がんばろうねと再会を約束し
て散会しました。

政治や経済の大きな流れを気にしつつも、庶民の暮らしはこんな風に健気な心掛けの
人々の努力で続いていくのかなと感じました。
ススキの穂がかすかに揺れて、ベランダの洗濯物が白くはためいています。



10月23日
奄美大島に豪雨が襲い濁流が家も車も飲み込んでしまうテレビの映像に
呆然とただただ見つめております。
今後の暮らしを思うと「あ〜なんて大変なことが」と胸が痛みます。
人の暮らしは自力ではどうにもならない事がたくさんあるのですね。
そしてそういう予期せぬ災難のために人々の人生が思うように進まないことが
またたくさん生じてくる。
ほ〜とため息がでてきます。

そして今年は里山に熊が多数あらわれて人を襲っている。
熊だって人を襲いたくて襲うのでは無くて、山に餌のどんぐりなどが不作だから
止むに止まれず里山まで降りてくる。
これも熊にとっては予期せぬ災難でしょう。
気候の変動が起こすさまざまな現象はきっと太古の昔から繰り返されて
来たのでしょうが、身近な報道を見ていると地球に生きる人間も含めて
動物達はなんと自然の力には弱い事かと思います。

人も熊さんもみんながテリトリーの中で穏やかに暮らせたら良いのにね何て
子供じみたことをついついと考えてしまいます。

お歳暮のご案内が郵送され、郵便局では「年賀状の準備はできましたか?」 と
聞かれます。
とんでもありません。まだそんな先のことまでとても無理、無理。
2ケ月先? そう年末まであと2ケ月なのね。
う〜ん 長かった夏が過ぎたらもう年末。
それまでにしなければならない事が山程あります。
そう苦労を苦労と思わずにがんばらないと!



10月9日
 十月に入り一雨ごとに気温が低くなってきました。
薄紫色の小さい花をたくさんつけた萩の花が、雨に打たれて揺れる度に
花が舞い落ちています。
舞い落ちる萩の花を「こぼれ萩」という名で呼んでいるとか、美しい日本語ですね。
でも人は誰かに打たれてこぼれ落ちてはいけないとノーベル平和賞の発表の記事を
読んで思っています。
受賞者の劉暁波さんは中国東北部の労働改造所に入れられているとか。
山崎豊子さんの小説「大地の子」の主人公の陸一心が入れられていたのが労働改造所。
映画のシーンを思い出して、時代が変わっても人の扱いはそんなに変化していなので
はないかと心配しています。
一党独裁自体が民主的ではないということすら言えない国で、保身に生きる事は
簡単でしょう。けれど敢て命に代えても持論を発表し、苦境の地で労役に服くするそ
んな強い人がいる。
過去にも平和賞を受賞された方々の中には未だに自由の身とはなっていない方がいる
と思うと、何て尊い魂の持主の方がいらっしゃるのだと敬服してしまいます。

中国当局の外圧に負けずに信念を貫いたノーベル財団にも敬意を払い、そして何より
も劉さんがどうか生きていてほしいと願います。
見ざる言わざる聞かざるとただ何ごともなく平穏に暮らせたらと願うわが身が恥ずか
しい。



10月4日
いつもの時期よりも遅ればせながら隣地の彼岸花がそっと隠れるように咲いています。
猛暑のせいか今年は花もやや小型ですが、不思議な花の形に魅せられて
今年も咲いてくれてありがとうって眺めています。
そしてどこからともなく、キンモクセイの香りが風に乗って漂ってきました。
尖閣諸島の問題や不景気やらとこの世は相変わらず不穏な世相ながらも、
植物は自らの役目をきちんとはたしてくれています。

新聞に何百億光年の先に巨大な数知れずの太陽の何百倍もの星ぼしが見つかったと
ありました。
それから考えると地球は何とつまらない事で自国の領土争いや経済の分配に血眼に
なているのだろうと思ってしまいます。
今から百年もすれば、今生きている人のほとんどが死んでしまっている世の中に
なるのに何でこうも争っているのかしら。

でも、でもやはり就職できない、お金が無いと日々の暮らしに人々の大半は追われて
いる世の中なのですから、人間ってやっかいな生き物ですね。
かく言う私だって日々の暮らしの大変さに文句タラタラ言っているのです。
とても偉そうな事など言えたものではありません。
秋の夜長の空を見て、あまり星も見えない夜空ですが、それでも悠久の星の世界に
思いをはせて、せめて浮き世の垢でも落としましょうか。

9月24日
猛烈な暑さから一転して、肌寒い程の冷たい空気になりました。
こう急激に温度が下がると何となく冬眠したいような気分になってきます。
あの暑さに耐えてきたのだ、もう休もうよ、、、と。
言え言えそんなのんきな事は言ってはいられない。
新聞もテレビも尖閣諸島の問題や、円高や就職難やらと決して穏やかとは
言えない世情を報道しているのですもの。
いつの世もどうして人の世は次から次へと難問が控えているのでしょう。
私の周囲も難問だらけ。本当にどうしようと頭も心もかかえてしまう。

先日、読売新聞の「四季」に栗木京子さんの歌が掲載されていました。

 里芋をころがしころがし煮てをりぬ わが子育てのあやまちあまた

選者の長谷川 櫂さんは
わが身を省みても子育ては失敗だらけ。もうひとり子供がいたら
完璧にできるのに。  と述べていらっしゃる。
栗木京子さんは私の大好きな歌人です。
美人で聡明で憧れの人。その人ですらこういう気持ちの歌をお作りになる。
ましてや凡人のわれわれは諸々の事に悩み、後悔ばかりの日々でも
仕方ないのかなと、ほっと救われた思いで読みました。

まあるく夜空に輝くお月様を見上げながら、何千年と人は悩みつつ生きてきたのかと
しみじみ思いました。これも空気が冷たく秋になったからでしょうか?


9月19日
ようやく、やっと、朝晩の風がひんやりとしてきました。
長かった今年の夏もどうやら猛暑納めといくでしょうか?
弊社のある東八道路では夕方になると西から東へ観光バスが帰って行きます。
山梨県周辺のぶどう狩りやワイナリーの日帰り旅行のようです。
たった一日の日帰り旅行でも日常から非日常の一日は夏の暑さに疲れた心身には
きっとリフレッシュ効果大でしょうね。

私の子供の頃はまだ家族旅行とかお出かけは贅沢な家庭のみの極めて珍しい例で、
大半の子供達は学校の遠足以外では地域から出かけることなど無い時代。
ですからバスの遠足は一年のもっとも心ときめく行事です。
帰りのバスはみんなまだこのままバスに乗って、もっともっとどこかに行きたいねと
話したものでした?府中市内でもまだ大半が農家の子供ばかりだった時代ですから、
帰ればまたいつものように畑仕事や家の手伝いに追われる日常が待っている。
観光バスは非日常のシンボル的な存在。
そう憧れの観光バス。
いまだに観光バスを見ると、ずっと乗っていたかった子供の頃を思い出し
「乗りたいなあ〜」と無意識に思ってしまう。

日常があるから非日常が特別な存在となるのでしょうが、幾つになっても
非日常に憧れているこの暮らしから抜けだせない日常。
何だか切ないねえ〜と演歌調みたい。

不漁だったサンマが近くのスーパーで「一匹100円と特売ですって!」


9月11日
 晩夏とか初秋というロマンチックな言葉とは裏腹な今年の九月。
じりじりと肌を刺すような日射しがいまだに続いています。
暑さに疲れましたね。
体調の悪い方はなおさらに辛い日々をお過ごしの事とお察し致します。
日頃からあまり元気な体とは言えない私ですが、この猛暑に倒れることもなく
過ごせたのはあの野菜のせいかしら?と思っている野菜があります。
それはゴ?ヤ。
今年、弊社の社長がゴーヤを育てました。
いくら栄養があると言われてもゴツゴツとした怪獣の皮膚みたいな外観、
苦い味といい私は敬遠していたのですが、なにせ毎日収穫してきます。
育った物は食べないと罰があたる ? そんな思いでゴーヤチャンプルもどきを作り
毎日、苦い苦いと言いつつ食べていましたら、ある時 「おいしい!」と思えた瞬間
がありました。
それからはこの苦味がなんともたまらないとまで思うようになったのです。
一体、私の口がどんな変化をきたしたのか全くわかりませんが、それからは連日の
ゴーヤ三昧。
お陰かどうかかろうじてこの猛暑にも耐えています。

人は年齢と共に食物の好き嫌いが変化して子供の頃には見向きもしなかった食品が
無性に食べたくなることがあると言います。
例えば、高野豆腐、切り干し大根、もずくの酢の物などなど。
きっと私もゴーヤの味がわかるゴーヤ年齢になったのかもしれません。

食欲の秋までもう一息、好きな食べ物を見つけて、何とか乗り切って下さいね。

9月4日
 焼け付きそうな日射し、いつまで日本の上空に留まっているのか高気圧。
外に出る時は首からタオルをまいて、汗を拭き拭きともう見栄も外聞も無い姿に
なっています。
そして、ふと気づきました。このタオルの長さの何と言うバランスの良さ。
ちょうどタオルの真ん中を首の後ろにして、両方にたらすと、顔や頭から
滴り落ちる汗を拭うのにぴったり。
昔から何気なく使っていたタオルですが、この長さは一体いつから、誰が考案したの
かしら?
今迄考えた事も無かったことが、この猛暑でふと ? なんて疑問になりました。
両手も顔も茶色く焼けて、ソバカスも顔中にいっぱいできました。
でもこのタオルの長さのバランスの良さを知った時、なんだか嬉しくなりました。
本当に誰が考えたのでしょうね。

まだ手ぬぐいが一般的でタオルが貴重品だった時代に、宮沢賢治さんは職場の同僚達
に「貴重なタオル」を東京土産にプレゼントしたとか。
あまりの肌触りのよさに岩手の人々はそれはそれは大切にして、首にまいていたとい
う話を読んだことがあります。
物の無い時代に育ったひとなら一枚のタオルの有り難さを身を持って知っていること
でしょう。

この猛暑で再びタオルの有り難みを感じています。
就職活動で汗みどろになりながらも黒いスーツを着ている学生さん。
金融機関の外回りの方も汗の滲んだスーツを着て、熱帯に近い今の日本には相応しく
ない姿で歩かなくてはならない「常識」に大変ねと同情をしています。
せめてハンドタオルで汗を拭いて下さいね。
もう少し、もう少しと思って涼しい風を待ちましょう。

8月27日
「この暑さがはてしなく続くのかしら?一体秋はどこにいるの」そんな挨拶がわりを
交わしている日々です。
大人も子供も大好きな「ガリガリ君」の製造工場ではフル稼動しても需要に追い付か
ないとか。
あの固く冷たい感触は暑い夏にはうってつけですもの。
みんなが「ガリガリ君」を食べたいのよね。

でもね少し夕暮れが早まってきたと思いません?
何となく風のある日は夜風がほんの少し涼しくなってきたと思いません?
夜空を見上げるとお月様が大きく、くっきりと見えてきました。
もう少しで待ち焦がれた秋がくるようですよ。
とにもかくにもこのすさまじい焼け付くような夏を乗り切っていきましょう。

葉もの野菜を作っている農家は高温で野菜が枯れて、サンマは荷揚げがほとんど無く
て、おまけに円高でと辛い事が目に付く今年の夏です。
それでも人は生きていくのですね。
先日、某テレビ番組で幼い時に失明した17歳の少女がトライアスロンに挑戦するシー
ンを見ました。
彼女はピアノを弾き、美しい歌声で歌も歌います。
料理も生活も自分で出来ると確信を持って挑戦しています
その姿に頭が下がりました。
24時間テレビでトライアスロンに出るそうですが、目が見えないために先導する人の
腰につけた鈴のわずかな音を頼りに走るとか。
自分のふがいなさが身にしみました。
私も持病に負けてはいけないって、何だか久しぶりに心が奮い立っています。
みなさまも、もう少しと思って頑張っていきましょうね。

8月19日
 すさまじい程の暑さにお体の調子を悪くされた方もいらっしゃるのでは
ないでしょうか?
日中に外に出ると皮膚が焦げてしまいそう。本当にそんな感じの東京です。
さてお盆に郷里に帰られた方々、また郷里でお迎えになられた方々、共に
お疲れさまでした。
年中行事のお盆の里帰りとはいえ、なかなか大変なことと拝察いたします。
そんな郷里に帰られた方からお土産の銘菓をいただきました。
ずっしりとした大福くらいの大きさの黄身餡に大きな栗が入っていてなかなか美味し
い。
まさに銘菓。「まほろば」と包装紙に書いてあります。
まほろば? 下さった方は長野県の方です。
確か「大和は国のまほろば」なんて聞いたことがあるけれど、、、。

旺文社の国語辞典を早速ひいてみました。老化と共に解らない事はすぐ調べるを
モットーにしているのです。それでもものの数分もすればすぐに忘れるのですが。
「まほろば」→古語でまほろ → 「まほら」すぐれた良い所
一般に丘や山に囲まれた中央の土地
なあ?るほど。
それなら大和に限らずに日本にはいくつも「まほろば」があってもいいのね。
山紫水明の長野県はもちろんのこと、全国にその土地ご自慢の「まほろば」があって
も当然なことなのだと納得。

冷茶とともにいただくと、ずっしり、ほっこり、そして少しシナモンの香りがして
お土産を下さった方の気持ちがまた嬉しい。
長野県に行く機会がありましたら是非ご賞味下され!
熱中症にならないように、持病のある方はご無理なさらないようにしてこの暑さ乗り
切りましょうね。

8月7日
今年も広島に原爆投下された8月6日はすさまじい炎暑でした。
けれど国連事務総長の出席という画期的な判断に、ご遺族や長い間原爆症に
苦しんでいらした方々には小さな灯がともったと思われたことでしょう。
私はもうひとつ日本の国はするべきことがあるのではと思っています。
いわゆる国が原爆症の被害者がでる地域と線引きされた場所からほんのわずかでも
離れて住んでいた人々には、原爆症の認定がおりないということ。
その認定地域が果たして正しかったか? 今でも研究している学者やお医者さんがい
ます。
そして現実に原爆症と同じような症状で長い間苦しんでいる方が大勢いる現実。

元来、日本という国の国民は世間体を気にし、人様に迷惑をかけてはいけないと
幼少から厳しくしつけられてきました。
ですから広島や長崎に原爆投下された直後にそこを通過して十分に死の灰を浴びた
人でも、そこに居住していなければ被害者だとは言えなか?とう時代背景がありま
す。
私の亡き父も原爆投下後の数日後に広島を徒歩で陸軍軍人として通過したそうです。
以来、亡くなる迄全身の倦怠感に悩まされていました。
けれど、ただの一度も原爆の被害者だとは言いませんでした。
言ってはならない世間体という重石。
高齢化していく被害者の方々の「重石」を取り除いてあげましょうよ。
多くの被害者と思われる方々が名乗りをあげて、病院で検査や治療を無料で受けられ
るようにしてあげましょうよ。
私は8月6日に必ずひとりで歌を歌います。
♪ ふるさとの町焼かれ 身よりの骨埋めし焼け土に
  今は白い花咲く、あー許すまじ原爆を、、、、♪
「原爆を許すまじ」という歌です。
教えて下さったのは51年前、府中二中の担任だった先生。
記憶は次世代に引継がねばならないことを歌で教えて下さった先生です。
夾竹桃の白い花は今年も炎暑に逞しく咲いています。

8月2日
記録的な猛暑にもうダメと体がついていかない人も多いかと思います。
本当にちょっとアパートや駐車場の掃除に行くだけで、頭から汗がしたたり落ちて
老体の私などは「水分補給、水分補給!」と冷蔵庫に直行しています。
でもこの暑さにひときわ元気なサルスベリの花の豊かな花房に、「偉いねえ?」と
お褒めの言葉をついかけております。

さて先日この欄に、府中市立美術館が約1億円の絵を購入したということを書きました。
すると「この不景気に全く市民感覚を無視した話だ」というコメントや、「依然と市
にパート仲間達と電話を掛け続けている」などのご意見をいただきました。
その後、府中市の広報が配付される度に、何か市からのコメントは掲載されていない
かと良く見ているのですが、一向に回答らしきものがありません。
せっかく市の広報を発行しているのですから、電話が繋がらない程の反響があった
「件」についての何らかの回答を期待していたのですが、残念。
電話をした人々や私は市に「いちゃもん」をつけているわけではないのです。
「どうかと思うけれど」という意見を述べているのです。
そういう意見は少数派だと審議すらしないで抹殺してしまうのかしら?
抹殺という言葉は少し過激なので、まあ?取り合うことも無いだろうと判断されたの
でしょうか。

市民政治は市民というひとりひとりの集合体の基に、それらの代表者が代弁するもの
という基本概念をすこ?し考えていただけたら、市民として嬉しいのですけれど、、
、。
猛暑よね、辛いですね。でも庶民は働かなくては、スーパーの特売に行って少しでも
家計を引き締めないとと、そうしないと暮らしていけない現実に、けなげに頑張って
いるのですぞ!!

7月3日
曇天の蒸し暑い日が続いていますね。
体がだるいなあ?、気分も滅入るなあ? そんな日々を過ごしていますが、
ふと手にとった新聞の歌壇に目が釘付けになりました。
この読売歌壇は私のつましい暮らしの中で、ほっと一息の元気をくれるコーナーで、
毎週掲載される月曜日を楽しみにしています。
選者は俵万智さん。

 アンを経てマリラの歳に吾なれどミセス・リンドのような友得ず
                    市川市 大和田弓子

アンと言えば今でも多くの女性の心を魅了する「赤毛のアン」
マリラはそのみなし子のアンを厳しくも温かく育ててくれた女性です。
そしてミセス・リンドは私のおぼろげな記憶ではアンと初対面の折りに、
アンの容貌をけなした女性だったはず。
でも確かお菓子つくりが上手で、野草で美味しいハーブティーなども作っていたかな?
この短歌の作者の大和田さんは「赤毛のアン」を相当熱心に読み込んで、登場人物に
心をひかれていらっしゃるのでしょうね。
私はもうすっかりと詳細な内容は忘れてしまったのですが、きっとミセス・リンドさ
んは
友としては素晴らしい人として描かれているのでしょう。
大和田さんはそんなリンドさんのような人と自分は未だに出会っていないと、
我が人生をふりかえっていらっしゃるようです。
けれど人は一生のうちで友と呼べる人に何人出会えるかしら?
一人でも出会えたらそれは素敵な人生だとよく聞きます。

読売歌壇のひとつの歌が、高齢者と呼ばれる年齢になった私に
「あなたにはそんな友達いる?」とふと我が身の生きざまを問うているような
気になりました。
夕方の風に乗って近所の庭からクチナシの芳香が漂ってきます。
くちなしの花言葉は「私は幸せ」。


塩津不動産株式会社
東京都知事免許(3)第74513号
(社)全国宅地建物取引業保証協会会員
(社)東京都宅地建物取引業協会会員
省エネルギー住宅推進協議会 多摩支部会員
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